今日は、読んでて久々に胸が熱くなる思いがした私はコーヒーで世界を変えることにした。
川島良彰作です。
一度決めたらまっすぐな性格を持っている方なんだと、本を通じ伝わってきます。
そして、一生懸命で、ものすごい行動力をもった方なんだと・・・。
まずは、川島さんの経歴を背表紙から抜粋します。
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18才でエルサルバドル、いくらコーヒーが好きであってもなかなか出来ない決断だと思います。
私が同じ18才の時は、大学に行って遊ぼうぐらいしかその頃の脳みそでは考えられませんでした。
その後、大学を休学し国立コーヒー研究所に入所。
また、その入所の仕方もすごい!
受付に毎日行って、所長に直接直談判ですからね。
最初は門前払い、その後受付でコーヒーを飲むようになり、1か月後にようやく入所を
認めらます。
今ではなかなか考えにくいことですが、それを現実のものとするところも行動力ですね。
内戦に巻き込まれ、一時国外へ避難。
そんな時、ニューヨークで上島コーヒー創業者 上島忠雄会長と出会います。
上島会長は、是非うちの会社に来て、コーヒー農園を開いてほしいと言われますが、
エルサルバドルでの研究生活を続けたいために、断ります。
結果、エルサルバドルの内戦は収まらず、上島珈琲に入社します。
その後も、20年近く海外の農園で仕事をこなして、退社後独立という形です。
アグレッシブで、仕事に一直線、コーヒーに一直線な方です。
どこを読んでも、熱く生きてるのが伝わってきます。
この本の中で、特に心に残った部分を紹介します。
① 会長から『お前やったらできる。だから、思いっきり暴れ回れ!責任は全部わしがとる』
それが自分のパワーの源になります。
川島良彰作です。
一度決めたらまっすぐな性格を持っている方なんだと、本を通じ伝わってきます。
そして、一生懸命で、ものすごい行動力をもった方なんだと・・・。
まずは、川島さんの経歴を背表紙から抜粋します。
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1956年静岡県コーヒー焙煎業者の家に生まれる。
静岡聖光学院卒業後、中米エルサルバドルのホセ・シメオン・カニャス大学に留学。
その後、国立研究所に入所。内戦ぼっ発後も同国にのこりコーヒーの研究を続ける。
1981年UCC上島珈琲株式会社に入社し、ジャマイカ、ハワイ、インドネシアなどでコーヒー農園を開発、各現地法人の役員・社長を歴任。またマダガスカル島で、絶滅危惧種マスカロコフェアの保全保護に携わり、レユニオン島で絶滅したとされていたブルボン・ポワントゥの発見・再生で同島のコーヒー産業を復活させる。
51歳で上島珈琲を退職し、株式会社ミカフェートを設立し、代表取締役就任。
「日本サステイナブルコーヒー協会」理事長、「東京大学研究会コーヒーサロン」共同座長、「日本貿易振興機構(JETRO)」コーヒー・アドバイザー、
「JAL日本航空」コーヒーディレクターなどを務める。
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高校卒業後、なぜエルサルバドルに渡ったのか?
それは小学生の時に決めた、「コーヒー屋になる」という夢のためです。
すでに、小学生の時に自分の進む方向を決めて(南米に行く!)、父親の勧め、
エルサルバドル在日大使の勧めもあってホセ・シメオン・カニャス大学に進学しました。
まずは、夢の第一関門突破です。
18才でエルサルバドル、いくらコーヒーが好きであってもなかなか出来ない決断だと思います。
私が同じ18才の時は、大学に行って遊ぼうぐらいしかその頃の脳みそでは考えられませんでした。
その後、大学を休学し国立コーヒー研究所に入所。
また、その入所の仕方もすごい!
受付に毎日行って、所長に直接直談判ですからね。
最初は門前払い、その後受付でコーヒーを飲むようになり、1か月後にようやく入所を
認めらます。
今ではなかなか考えにくいことですが、それを現実のものとするところも行動力ですね。
内戦に巻き込まれ、一時国外へ避難。
そんな時、ニューヨークで上島コーヒー創業者 上島忠雄会長と出会います。
上島会長は、是非うちの会社に来て、コーヒー農園を開いてほしいと言われますが、
エルサルバドルでの研究生活を続けたいために、断ります。
結果、エルサルバドルの内戦は収まらず、上島珈琲に入社します。
その後も、20年近く海外の農園で仕事をこなして、退社後独立という形です。
アグレッシブで、仕事に一直線、コーヒーに一直線な方です。
どこを読んでも、熱く生きてるのが伝わってきます。
この本の中で、特に心に残った部分を紹介します。
① 会長から『お前やったらできる。だから、思いっきり暴れ回れ!責任は全部わしがとる』
尊敬する人から、そこまで言われて発奮しない人間がいるだろうか。会長は何もかもお見通しだった。何が起こっても、厳しい会長の喜んだ顔が見たくて踏ん張ることが出来た。やり遂げた時の達成感と、それを分かってくれる人がいることが、日々の仕事の励みになった
→自分を信頼してくれる人がいるというのは、非常に心強いものです。
この人のためなら!と思える方に出会えるのは貴重な出会いです。
その出会いを大切にして、日々の仕事をしていきたいと思いました。
みんなつながっていますからね。
②
退職当時社長の上島達司社長は『わしは社長としてすべての社員に平等にチャンスを与えてきた。お前は、それをちゃんとつかんできたから、また次のチャンスを与えられたんや。ほとんどの社員は、もろたチャンスに気づいてへんのや。』
→チャンスとは自分で気づきにくいものです。
後になって、あ~と思うことはあっても、なかなか気づきにくい。
逆に言えば、気づきにくいからこそ、どんな仕事も一生懸命に対応することが
必要なんだと思いました。
私ができることを、一生懸命やり遂げたいと思いました。
③ ストリート・スマートはどんなときでもなんとかなる、どんな状況でも何とかする、常に楽しく面白く生きるという生きるための心構えであり、生き抜くために覚えておくべき究極のポジティブ思考だった
→ポジティブシンキングは、どんな環境でも生き抜くための強い味方なんだと思いました。
ケセラセラも同じですよね。なんとかなるさ!
そんなポジティブシンキングじゃないと、南米やインドネシアなどの発展途上国では
生きていけないのでしょうね。
もともとポジティブシンキングの私ですが、改めて大切さを認識しました。
そして、最後ですがこうとも書いてあります。
④グランクリュカフェは希少性が高い特急品の豆を手間暇かけて作るために、当然価格も高くなる。ただ、コーヒーの本当の美味しさを伝えることがなにより大切だと信じているし、コーヒーの価値がわかる消費者が増え、品質の高いコーヒーに相応の金額を支払う人が増えれば、生産地の農園はさらなる品質向上を目指すことが出来る。まさにそれがサステイナブルな農園経営につながっていく
→この部分を読んで、川島さんは、コーヒーに携わるすべての人のことを考えて
仕事・経営をされていると感じました。
心に刻もうと思います。
この本は、非常に熱く仕事をされた川島さんだからこそ書けた本だと思います。
心の中に熱いものがなくなってきたな・・・と感じてきた方には特におすすめです!
是非読んでみてください!
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!
やまおやじでした!
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追伸:もうすぐボーナスですね。
少ないボーナスですので、出来るだけ貯金に回したいと思います。
少しでもお父さんに当たればと思うのですが・・・。
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